大蟻食様

佐藤亜紀を評価している人を見るとうれしい。

安全圏にいるから好きなように撃っていいと思っているレヴューアーが、あまりにも多すぎる。彼らもまた、レヴューの読み手にいいように撃たれているのだが、あまりにも鈍感なので気が付かないらしい。萎縮しろといっている訳ではない。ただ、評を公にすることによって裁かれるのは、対象となる作品よりは評者の趣味と見識だということは知っておくべきだろう。
大蟻食の日記 2002/3/23より

ほんとは、この前のパラグラフから引用したいのだが、あまりに引用が長くなるのもなんなので、このくらいにしておく。というか、佐藤亜紀の文章と自分の文章を並べるのも、ちとつらいし。
これは、喧嘩の内容と離れて、一般論としての話。
わたし自身も、書評と称して、bk1 やら Amazon やらにせっせと投稿していたのだが、正直言ってわたしの書くものは、書評とは程遠い。なんとなれば、その本から引っ張り出された自分の思いを書いているにすぎないからである。わたしの「書評」を読んでも、ぜんぜん本の内容はわからない。内容がわかるように気をつけて書いたものは、自分であとで読んでもまったくおもしろくない。
趣味と見識にはまったく自信がないが、本の内容よりそれが表に出てくる、というのは、ほんとうにその通りだと思う。