違うところを見ている


日本に住み日本でこれから生きていく上で、もう今の時代、「在日コリアン」であるという特異性だけでは日本社会では通用しない時期に突入しています。特にほとんどの在日が日本において「自分は在日コリアンである」ということだけで安心して生きている人々がほとんどです。言葉も文化も歴史も風習も何も知らないくせに。
大晦日だよ!エビスビィビィエス
もともとわたしがサイトを始めたときのタイトルは「キムチの気持ち」というもので、kimchi さんという ID を見ると、かなり親しみがわくのだが、上記引用部分を読んで、同じ在日といってもまったく違うところを見ているんだなぁ、と、しみじみ感じ入ってしまった。年齢も一回り以上違うし、たぶん環境もいろいろ違うんだろうから、当然といえば当然なんだけど。
というのは、大学入学以来、ネットでのハンドルも含めて本名で通してきて、要するに、在日であるということを鼻先にぶらさげるような生き方をしてきたわけだが、「在日コリアン」であるという特異性が日本社会で通用した時期があるなんてのは、実感としてまったく感じられないのだ。大半の在日は日本名を使って、在日であるということをあからさまにせずに生きているのだから、特異性を打ち出そう、という人はごく一部だと思うし。
さらに、「在日コリアンである」ということと「安心」という言葉が結びついているのも、わたしには驚きだ。逆に言えば、自分が在日だということに安心できないからこそ、言葉や文化や歴史を学ぼうとしているのかなぁ。