男性か女性かという二者択一−『ボーイズ・ドント・クライ』

ボーイズ・ドント・クライ [DVD]
ミリオンダラー・ベイビー』でのヒラリー・スワンクがとてもよかったので、ヒラリーつながりでレンタルした。実話が元になっているということ、性同一性障害の若者が主人公だということは、頭に入っていた。
これもまた、胃にずしんと来る映画である。
登場人物は、みな田舎にくすぶっているさえない若者たち。狭い町にうんざりして、息が詰まりそうになっているが、都会に飛び出していくほどの気概もなく、刹那的に日々を送っている。主人公も、セクシャルマイノリティーであることをのぞけば、その一員である。
ヒラリー・スワンクは、肌の質感や骨格などはどうしようもないので、さすがに大人の男性には見えないが、十分少年に見える。なので、女優同士で演じられるキスシーンやセックスシーンも、女性同士、という印象はあまりなかった。当人たちは、男女の恋人同士としてセックスしているのだから、それをちゃんと絵で見せる、というのはやはり重要だ。*1
で、主人公の性別が実は女性であるということがばれて、物語は一気に破滅へとつきすすんでいくのだが、そのときの周りの反応がくっきりと二種類に分かれている。人間には、男性と女性の二種類しかないと思っている人々、言い換えれば、人間性は性によって規定されていると考える人々と、性以外の場所に人間性の源泉があると考えている人々である。もちろん、描かれているのは、なんの教養もない人々なので、それが言語化されているわけではないが。
前者の考えでは、従来の男性・女性の範ちゅうに入らない存在は、人間ではない、つまり人間扱いされなくて当然だ、ということになる。いままで友達づきあいしてきた相手に、突如として、レイプ、殺人というしうちを加えるのは、そう考えれば、なにも不自然ではない。
恋人(クロエ・セヴィニー)の母親は、主人公を "he" でも "she" でもなく "it" と呼ぶ。ちなみに、そのセリフについている字幕は「化け物」である。
いっぽう、恋人や女友達は、傷ついている主人公を目の当たりにすると、さほどの葛藤もなく、恋人として、友人として受け入れていく。寛容というのではない。ただ、男性か女性か、という二者択一以外のところに、主人公の存在を見て取っている、という印象である。もっとも、彼女らのそういう反応が、ペニスに自分の存在価値をかけている連中からすると、まったくがまんならないものであり、理不尽な怒りをさらにかきたてたとも言えるだろう。
町の外の風景が、早回しで描かれるのが印象的である。

*1:ホモセクシュアルが異常だと言っているのではなく、この場面での登場人物の心情を表現するという話。