アイデンティティという病

id:sugio さんの「そんな定義なの」を読んで、つい「殺される」だの「生きていけない」だのと書いてしまったのは、また病気が出てしまったということかもしれない。脅かすつもりはなかったし、自分ながら過激すぎるかなぁ、と思って考えて見たのだが、あの時点では、あれ以外に言葉がみつからなかった。いや、あの時点では、じゃなくて、やはり実感としてその言葉はある。id:sugio さんには、たいへんていねいなコメントをいただいて恐縮しているが、それでも、病気を持っているものとそうでないもの*1とが、それぞれ相手の感覚を手探りしているようなもどかしさがつきまとう。お互いに、相手の言っていることを、ちゃんと受けとめよう、考えようとしているのに、どこか根本のところですれ違っているような。
自分は何者なのか、どこから来たのか、という問いは、だれでもが通り過ぎる一般的なものだと言える。だが、あるものは、慢性の病気のように、おりおりにぶり返すその問いと共に生きている。哲学的なことを考えてるから高尚だとか、ぜんぜん考えたこともないから幼稚だとか言うことではなく、汚染された大気にさらされている人たちが、高い割合で呼吸器疾患を患ってしまうように、その問いが否応無く体に染み付いてしまっている人々がいる。それが在日コリアンのひとつの定義かもしれない。

*1:と、決め付けちゃいけないけど、たぶん。