言葉のない別れ−『耳に残るは君の歌声』

胸痛む映画である。異国を漂泊する悲しみが全編にあふれている。だがそれは、言葉でつらい、悲しいと説明するのではなく、それ以上に雄弁に、映像と音楽によって語られていく。
切り詰められたセリフ、1時間30分という短さで、断ち切られるような唐突なラストシーン。だが、過剰に感傷を排除するくらいでちょうどいいのだ。歴史を描く一大叙事詩ではなく、あくまでもひとりの女性を押し流していった運命を描いているのだから。
最初のシーンは1927年、ロシアの寒村である。晩秋の底冷えする空気を感じさせるような青みがかった映像。枯れ草も人々の服装も鈍くくすんだ色合いである。だが、父といる限り、この世に不足なことは何もない。少女の笑顔がそれを物語っている。その父が出稼ぎのために、アメリカに旅立っていく。父の手にしがみつく娘。泣き叫ぶでもなく、ただその手にすがっているだけ。祖母がやさしくさとして、娘の手をほどかせる。そして、父もまた、無言で、何度もふりかえりながら歩き去る。もうこのシーンで完全にやられてしまった。
祖母との別れ、イギリスでの養父母との別れのシーンでも、さよならの言葉をかわす様子は描かれない。パリのアパートの大家で、同じユダヤ人だと知って娘をかわいがってくれた老婦人との別れも、車に押し込められて去っていく顔がちらりと映るだけである。
そして、パリから脱出するため、寝ている恋人を起こさないように、そっと支度をして主人公が出て行き、ドアを閉めた音がしたその瞬間、男の目がぱっと開く。もちろん、寝てなどいなかったのだ。ジョニー・デップのエキゾチックな美貌がひきたつラブシーンもいくつもあったが、この場面の表情がいちばん胸に残った。
陽気で現実的な美しいダンサー、主人公の親友を演じたケイト・ブランシェット。ほとんど無表情な、ふきげんなキューピーさん、クリスティーナ・リッチと好対照を成し、ストーリーを動かす狂言回しの役どころでもあった。ふだんは、よくしゃべり、笑う、華やかな表情を見せているが、恋人のオペラ歌手がパリに入城してきたドイツ軍人に、主人公がユダヤ人だとばらしてしまうのを、車の中で固まって聞いているシーンが、圧巻だった。
登場人物の話す英語は、ロシアなまり、イタリアなまり、イギリス風アクセントなどさまざまで、その響きの違いがこの物語の通奏低音になっている。最後にやっと巡り合えた父が娘に語りかける言葉が、故郷で話していたイディッシュではなく、英語だったというところが、なんとも切ない。
しかし、ユダヤ人や、ロマに対する迫害、第二次大戦中のヨーロッパの動きなどを知らないと、説明不足でなにがなんやらわからん、ということになってしまうんだろうな。タイトルにしても、原題をただカタカナにしただけ、というのが多い中、内容をよく表している美しいタイトルなんだが、アリアの曲名だとわからないと、価値が半減かも。